2012年5月4日金曜日

<三月平和問題ゼミナール>


<三月平和問題ゼミナール>

〜カナダの多文化主義の現状に関する考察〜  

 

法文学科経済情報学科四年 岡田綾子

(多文化主義とは)

多くの民族や人種が共存するためにはなくてはならない主義であり、世界がグローバル化する現在、更に広がりつつある。多文化主義を取り入れている国として、アメリカ、オーストラリア、カナダが知られているが、アメリカ=奴隷制度、オーストラリア=白豪主義、カナダ=英vs仏の争い、がそれぞれ多文化主義展開への発端となっている。ここでは、カナダにおける多文化主義に焦点を当てる。

 

【1】カナダへの移民傾向

グラフ参照

【2】中国系移民の考察

○ カナダ移住のきっかけとなったゴールドラッシュ 〜一獲千金の夢〜

 

1958年、カナダ西海岸のバンクーバー近くのフレーザー川流域における金鉱の発見。ゴールドラッシュ収束後、カナダ太平洋鉄道の建設が始まるが、建設労働者の四割は華人であった。

しかし、1886年、カナダ太平洋鉄道がついに完成すると、華人は職を失うとともに、白人労働者からは、「賃金を低下させ、白人の仕事を奪う邪魔者」として迫害を受けることになった。

→華人排斥運動へ

*チャイナタウンの役割

○ 華僑と華人

「華僑」と「華人」の違いは何か。つい、一緒にしてしまいがちだが、この言葉には微妙な違いがある。この「華僑」と「華人」を厳格に区別して使用することは非常に困難であるのだが、その微妙な違いをここで説明したい。

 

○ 華人の一般的特徴

―「金持ち、忍耐強い、商売上手、賢い、働き者、一族の絆が強い、世界中にいる。」― 私の華人に対するイメージはこのようなものである。おそらく、多くの日本人のイメージもそうではないだろうか。

そこで、実際の華人とはどのような人々であるのか、下に示す「四字熟語」、「伝統的特色」、の意味を考えつつ、その一般的特徴を分析してみる。ただし、今日、海外華人の活動では欧米化がかなり進んでいるため、下に述べたような華人社会の伝統的な側面を認識しておくと同時に、今日の華人意識が大きく変容しつつあることにも十分注意を払う必要がある。それをふまえた上で述べてみたい。

<華人の生き方を表す四字熟語>

T.「白手起家」・・・裸一貫から身を起こし、一家の財をなす。素手で家を起こす。かつては清貧だった華人が、その後、刻苦奮闘して大富豪となったという著名な華人豪商の出世物語が華人社会ではよく聞かれる。

U.「落地生根」・・・地に落ちて根を生やす。土地に根を張るという意味から、華人がいつまでも祖国中国のことばかり考えずに、居住地に定着すること。かつて周恩来首相は、海外華人が中国と居住国との友好の架け橋となるよう訴えた。

V.「衣錦帰郷」・・・故郷に錦を飾る(錦を着て故郷に帰る)。海外在住の華人が、道路、病院、学校などを建設したり、献金したりして、故郷や祖国中国の発展に貢献する。居住国出生の新世代の華人の「故郷」への意識は希薄化しており、愛郷心に基づいて「故郷」へ投資するというより、投資先はビジネス優先で決定するようになってきている。


どのようにカナダは、その独立性を得るた

W.「莫談政治」・・・政治を談ずることなかれ。一般に華人社会では、少なくとも公には、政治にあまり関与しない方がよい、との教訓がある。政治に関わりすぎると体制が変化したときに大きな影響を受けることを華人は恐れる。

X.「落葉帰根」・・・落ち葉は根に帰る。すなわち、海外に移住した華人は、いずれは生まれ故郷に帰る。たとえ客死しても、屍は故郷に戻る。実際、第二次世界大戦前の横浜中華街では、横浜で亡くなった華人の棺の中には、船で中国の故郷へ運ばれ、出身地の墓地へ埋葬された者もある。

<華人経済の伝統的特色>

@華人企業の中には、零細で小規模経営のものが多い。

A商業に比べると工業分野への進出は少ない。

B同族的、同郷的な組織による経営が多い。

C地縁、血縁的な結びつきを重視する。

D個人的な信用を重視する。

 

T・・・・積極性・忍耐強さが感じられる。カナダ太平洋鉄道完成後も祖国に引き上げることなく、排斥運動を受けながらも異国に留まることが出来たのは、この、四字熟語から見受けられる「いつか報われる」という強い意志を持ち続けたからだ。

V・・・・華人の中には、貧困のために幼い頃から十分な教育を受けられなかった者が多い。そのため、いずれは郷里の教育、文化、社会福祉の発展に貢献できるように、海外での成功を夢見る華人は多い。しかし、実際に夢をかなえることのできる華人は少ない。

BC・・・共通していることは、「身内意識の深さ」だ。この身内意識の深さこそが、華人の特徴そのものであり、多くの華人に共通する行動律である。「家族を大切に」という意識は、中国では決して忘れてはならない習慣だ。親戚などとの付き合いの中で、相互の人間関係を大切に保つように精一杯心を配る。国元では家族、そして、村や同族(両者が同じである場合も珍しくない)に対して抱く意識であるが、祖国に比べて人脈が希薄な世界においては、そこに存在する華人ネットワークに身内意識を感ずる華人は少なくない。自らが生活する異国の地に身内を呼び寄せる華人が多いが、これは、「異国ではあるが、住みよい土地で身内の者たちと力を合わせて生きていきたい」という彼らの気持ちの表れなのだ。

D・・・・日本社会では考えられないことだが、中国人は政府に対しての信頼はあまりないようだ。なぜなら、中国は55の少数民族から成る国であり、そのほとんどに固有の言語が存在する。大国である分、民族、言語の面でも細かく分かれており、壁も多い。しかし、対する国家は一つしかない。全ての人々の願いを聞き入れた国家をつくることは当然、困難だ。多くのアイデンティティに対して一つの国家しか存在しないことで、人々の不満はたまっていき、彼らにとって国家はそれほど重要なものではなくなる。「政府の国交よりも個人のコネであり、個人的な信用を重視するべきだ」、という幾分醒めたようにも受け取れる考えを彼らが持つのはこのためだ。海外移住する際も、世間体など割に気にしない者が多い。世界中に多くのチャイナタウンが存在していることからも、彼らは祖国に縛られていないことが理解できる。

X・・・・生活のために海外へ移住するが、愛郷心がないわけではない。やはり、いずれは祖国へ帰りたい、というのが本音のようだ。

 

【3】多文化主義教育

○ 多文化教育の展開へ

カナダにおける教育の管轄は、「州の独占的事項」と憲法によって定められている。連邦政府は基本的には教育に関して間接的な関与しか行わない。例えば、中等後教育や成人の職業訓練、あるいは、英仏の二つの公用語の教育や第二言語の訓練等に関する財政援助などである。

 

○ ―オンタリオ州の例―


双子の滝カウボーイ

一般に「多文化教育」と呼ばれる教育法を更に根本から補完した「反人種差別教育」への取り組みから行われている。この「反人種差別教育」とはどのようなものであるのか、また、この教育を進めるためにどのような政策が必要となるのか見てみたい。

 

 学校とマイノリティ・グループとのパートナーシップ

      ヨーロッパ中心主義に陥ることのないバランスの取れたカリキュラム

      生徒に対する偏見にとらわれない公平な評価

      人種や民族による嫌がらせへの対処

・ 共同グループ学習の導入 人種・民族の協同

・ 国際言語プログラムの導入

 

○ 多文化教育にまつわる問題点 

「多文化教育」という形態で文化の違いを教えることは非常に大切であるのだが、それは容易ではない。諸マイノリティの文化の違いを強調させすぎてしまうと、国民としてのアイデンティティを損なうことにも繋がる恐れがある。その結果、カナダが分裂してしまうのではないか、という危機感を持つ者も現れるだろう。この問題は、カナダが多文化主義国である以上、これからもカナダに暮らす多くの人々が抱き続けていくであろうジレンマだ。今後ますます住民の人種や民族が多様化していく中で、「カナダ人」としてのアイデンティティをどこに持つべきなのか。非常に難しい問題だ。

 

【4】ケベック問題と連邦制

○ ケベックの歴史

資料参照

○ ケベック・ナショナリズム

カナダにおいて「ナショナリズム」という言葉は、フランス系カナダのナショナリズム、特に、ケベック・ナショナリズムを意味することが多い。

 

ケベック・ナショナリズム・・・・「ケベック以外のカナダに対抗し、ケベックの文化的、政治的独立を獲得しようとする政治イデオロギー」

 

カナダの歴史を振り返ってみると、カナダ建国の歴史は国家建設と州建設が平行したものであった。このため住民は、オタワ連邦政府よりも、自分の居住する州の政府に対して信頼を寄せている。特にケベック州の場合、アングロサクソンの大海の中でフランス系であり続けるエネルギーが、フランス系住民が集中的に居住する地域ケベックと結びつくことで、無視するには大きすぎる凝集性のある社会が形成されており、人々の州への愛着は極めて強い。そして、何よりも「征服された」という意識がフランス系カナダのナショナリズムを育てた。

 

転機となった「静かな革命」・・・・この革命により、閉鎖的ナショナリズムは一変し、非宗教的でフランス系文化の積極的開花を推進する新しいナショナリズムとなった。この新しいナショナリズムは、政治・経済面にも重点をおく点で、それ以前のものとは異なる。すなわち、フランス系カナダ人が集中して居住するケベックを、フランス系カナダの砦とし、州政府という公的機関を通じてケベックの独自性に基づく特権を、積極的に獲得しようとする方向に移行した。つまり、自治権を主張するアイデンティティを強く持ち始めた。ケベックを一言語の国に変えてフランス語のみを定着させようとする動きもその独自性の表れの一つである。

 

本質的問題 = イギリス系カナダ人 → カナダを「国」かつ「国家」と考える

フランス系カナダ人 →ケベックを「国」カナダを「国家」と考える

 


あなたが召喚状を添えて得れば何をすべきか

これまで、ケベックの存続にはカナダという枠組みが必要だ、とフランス系カナダ人が信じる限り、英仏両系の不均衡は致命傷とはなりえなかった。しかし、ケベック州が州経済の発展をはかり、国家内国家の地位を目指し、その芽が功を成し始めたことにより、ケベックはカナダを「国として果たして必要か」と自問し始めている。今日、「フランス系ケベック人」とはケベックに暮らすフランス人、その中でもケベック州の分離=独立運動を支持するフランス人を指し、「フランス系カナダ人」とは、ケベック以外の州に暮らし、もしくは、ケベック内に住んでいるとしても、その分離=独立には賛成しない人々を指す。「フランス系カナダ人」と「フランス系ケベック人」は、今では、そのアイデンティティの拠� �所が大きく異なっている。

 

○ 異なる二つの前提

ここに、ケベック問題に関する二つの異なる考え方がある。

<第一の考え> = あくまでも国家としてのカナダの存続と発展に焦点を当てながら、ケベック問題をとらえていこうとする考え。

<第二の考え> = ケベックの存続、発展、利益を優先し、カナダへの従属を認めない、という考え。

前述の第一の考えと第二の考えの違いは、その前提にある。つまり第一の考え方は、カナダの国家統一を前提とし、その強化を最優先させているのに対し、第二の考え方は、カナダを視程に入れず、ケベックの発展を大前提にしている。その結果、前者にとってケベック問題の解決策の一つであろう、カナディアン・アイデンティティの強化は、後者にとっては危険だと考えられる。つまり、後者にとってのナショナル・アイデンティティは、カナディアン・アイデンティティではなく、ケベック・アイデンティティなのだ。このように、二つの考え方の前提と目標は相容れず、それがケベック問題をより複雑なものにしている。

 

○ これからの課題

ケベック問題が他の少数民族問題と異なるのは、中央政府である連邦政府がケベック問題を「国政の政治的課題」として取り扱わざるを得ないところにある。ケベックが連邦政府から、次々と実質的な特別扱いを引き出していくのを他の九つの英語系諸州が快く思っていたわけではない。しかし、ケベックの主張を無視することがケベックの独立への思いを高め、ひいてはカナダ連邦の崩壊につながることをオタワ連邦政府も英語系諸州も予見しており、このため、ケベックの要求に柔軟に対応してきたのである。

多くのフランス系カナダ人は、「民族のアイデンティティを守るには国家を持つしかない」と捉えている。ここ30年間でケベック社会は急速に近代化を遂げてきたが、果たしてその発展は、自州のみの努力で成し得ることが出来ただろうか。他州との協力があってこそ発展できた部分が多いのではないだろうか。連邦制であるが為に被る害のみを主張し、連邦制であるおかげで受けることの出来た恩恵を、都合よく忘れているフランス系カナダ人はあまりにも多い。

連邦制は、民族原理と市民原理という、相反する二つの原理の調和をはかることによってのみ成立する。民族原理とは、「人々はこの原理のもとに、自民族による統治を望む」もので、市民原理は、「民族性ではなく市民権を基盤とし、様々な人々が共存して平等社会の形成を目指す」というものだ。この一方が欠けてしまった時点で連邦制は成り立たなくなる。今のカナダの状況は、ケベック州におけるフランス系カナダ人が、市民原理の必要性を感じていない状況だ。たとえ、他州の人々にとって、この二つの相反する原理の調和がとれていたとしても、フランス系カナダ人がそうでない限り、完全な連邦制は成立しない。

現在、フランス系人口の約二割はケベック州外に住んでおり、彼らの全てが連邦からの独立を望んでいるわけではない。また、ケベック州内のイギリス系や非フランス系の人々、また、昔からこの土地に住む先住民もケベック独立には批判的である。

<おわりに>


カナダはイギリス系とフランス系という歴史的に対立関係にある二つの民族によって創設され、その後に多様な文化や言語、あるいは宗教を持った人々が加わってできた国である。今後もイギリス系、フランス系を始め、これらの民族関係には目が離せない。果たして、様々な「文化」あるいはそれと一体化した「民族」によってモザイク的に構成されていくのか、それともこれらの文化や民族性は世代を経て薄められ(カナダ化され)、もはや独自の文化や民族とは呼べないものに変容していくのか。注目していきたい。

 

<参考文献一覧>

* 連邦主義の思想と構造   PE.トルドー 著  田中浩、加藤晋章 訳

1991、御茶の水書房)

* 多元国家カナダの実験   加藤晋章 著 (1990、未来社)

* 多文化主義        多文化社会研究会編 訳 

* カナダ史         木村和夫 編 (1999、山川出版社)

* カナダ 20世紀の歩み   吉田健正 著 (1999、彩流社)

* カナダ移民族社会の構造  倉田和四生・山本剛郎 訳編 (1994、晃洋書房)

* ―中国人はこうして移民した―  チャイナタウンの女  デニス・チョン 著 

1998、文春文庫)

* 二十一世紀の民族と国家   山内昌之 編  (1993、日本経済新聞社)

* 民族問題とは何か      西島建男 著  (1992、朝日選書)

* 民族と国家の国際比較研究  田中浩・和田守 編(1997、未来社)

* 民族に関する基礎研究T、U 総合研究開発機構 (1993

* チャイナタウン       山下清海 著  (2000、丸善ブックス)

* 民族と国家の国際比較研究  田中浩.和田守 編(1997、未来社)

      カナダ多文化主義教育に関する学際的研究  関口礼子 編著 (1988、東洋館出版社)

      CHINATOWNS TOWNS WITHIN CITIES IN CANADA     

    DAVID CHUENYAN LAI 著(1988, UNIVERSITY OF BRITISH COLUMBIA  PRESS) 

      The Chinese in Vancouver 1945-80 

    Wing Chung Ng (1999 UNIVERSITY OF BRITISH COLUMBIA  PRESS )



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