1. 9.11はアメリカの陰謀か
2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロ事件[n]、所謂、9.11以降、ブッシュ政権は、「テロと戦うため」と称して、アフガニスタンやイラクを攻撃した。しかしながら、これらの戦争の出発点となった9.11に関しては、事件発生直後から、アメリカ政府による謀略ではないかという疑いがもたれている。一口に陰謀説といっても、いろいろな説があるわけだが、大きく分けて、アメリカ政府は、テロの計画を知りながら、その防止に努めず、むしろそれをアフガニスタン攻撃の口実として利用しようとしていたとする穏健版陰謀説と9.11はアメリカ政府による完全な自作自演であったとする過激版陰謀説の二つがある。
[n] 日本のメディアは「同時多発テロ」という名称を使っているが、英語圏では、"9.11"という名称が一般的である。読み方は、アメリカでは"September (the) eleven(th)"、イギリスでは"the eleventh of September"である。日本では、2.26(にいにいろく)事件などの読み方にならって、「きゅういちいち」と読むのが正しいようだ。
穏健版の陰謀説は、事件が起きる前に、イスラエル、ドイツ、ロシア、イランなどの国の情報機関から、テロの計画の情報がアメリカに通告されていたにもかかわらず、アメリカ政府はこれを無視し、事件当日も、アメリカ空軍が、テロ被害の拡大を防ぐための適切な措置を行わなかったことから生まれた [田中 宇:仕組まれた9.11―アメリカは戦争を欲していた, 第一章]。
2001年8月6日に、ブッシュ大統領がCIAから報告を受け、ハイジャックされた航空機による攻撃の事前警告を受けていたことを、ライス大統領補佐官が2002年5月15日に、そして、翌日(2002年5月16日)には、フライシャー報道官が、9.11の2日前に、ブッシュ大統領にアルカイダ掃討の詳細な戦争計画が渡され、戦争への大統領令を発動する準備が進められていたということを公式に認めた[r]。これで、なぜアメリカ政府が、事件後即座に、ろくに調査もせずに、事件の首謀者をオサマ・ビンラディンと断定したのかという謎を解くことができる。穏健版の陰謀説は、正しかったのだ。
[r] ライス米大統領補佐官(当時)は、2004年4月8日午前、米独立調査委員会の公聴会で証言し、9.11の約1カ月前に提出した大統領への報告日録の表題が「オサマ・ビンラディン、米本土攻撃を決意」で、「非常に大きな事件が起きる」などの通信も傍受し、国際テロ組織アルカイダが米本土を攻撃する意図を事前に認識していていたことを認めた。大統領補佐官は、「航空機を兵器として使うという分析が報告されたことはなかった」と語り、事件は想定外の攻撃方法だったと言っているが、2004年4月19日付の米紙USAトゥデーによると、北米航空宇宙防衛司令部(NORD)は、9.11が起きる2年前に、テロリストに乗っ取られた航空機が世界貿易センターなどに突っ込む「自爆テロ」を想定して模擬演習していたとのことである。
2. 過激版の陰謀論
過激版の陰謀論[m]は、さらに一歩進んで、9.11の首謀者がアメリカ政府だとまで主張する。9.11の首謀者はオサマ・ビンラディンで、実行犯はイスラム原理主義者というのがアメリカ政府の主張であるが、その証拠とされるものは、どれも疑わしいものばかりで、実行犯とされたイスラム原理主義者たちの名前は、実際には、公式の搭乗者名簿に一人も載っていなかったと言われている。では、その場合、実行犯は誰だったのか。実は、アメリカ政府は、この問題を含めて、事件の真相解明に熱心ではない。例えば、アメリカン航空やユナイテッド航空など、テロ直後急落した会社の株の大規模な空売りで巨額の利益を手にした投機家がいるが、SEC(米証券取引委員会)は、首謀者を突き止める上で重要なこの情報を公開しようとし ない。
[m] 過激版陰謀論の中で最も有名なのは、フランスでベストセラーになった、[Thierry Meyssan:The Big Lie(英訳)] である。Thierry Meyssan は、ユナイテッド航空の757機が激突して米国国防総省(ペンタゴン)ビルの一部を破壊したという通説を批判している。破壊された箇所が、飛行機よりも小さく、現場に、飛行機の残骸が全く残っていないことが根拠である。
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航空機が世界貿易ビルに激突したのは、イスラム原理主義者たちの自爆行為によってではなく、地上からの遠隔誘導リモコン操作によってであるという陰謀論もある。真相を知るには、ブラック・ボックスを回収して、それを解析しなければならないのだが、当局は、一方では、焼き焦げた跡すらないテロリストのパスポートを現場から回収したとしながら、耐熱性が高いはずのブラック・ボックスは、高熱のために破壊されたといって、その内容を公開しない。
陰謀論者たちは、さらに、アメリカの仇敵とされるオサマ・ビンラディンが、実はCIAの工作員ではないかと疑っている。1980年代に、アフガニスタンに侵略したソ連軍と戦うために、オサマ・ビンラディンがCIAと提携していたことはよく知られているが、91年の湾岸戦争をきっかけに、反米テロリストになったというのは本当だろうか[a]。2001年10月31日付のフランスの新聞『フィガロ』は、9.11の2ヶ月前、CIAのドバイ支局責任者が中東ドバイのアメリカン病院に入院していたビンラディンに会いに行ったことを暴露した。また同じ時期に、アメリカの雑誌『ビレッジ・ボイス』は、1996年に、スーダン政府が、スーダンに亡命し、既にアメリカから危険視されているはずのビンラディンの身柄を引き渡したいとCIAに申し出たところ、断 られ、タリバンのいるアフガニスタンに亡命させるように頼まれたと報道した。
[a] 2004年9月11日にテレビ朝日が放送した「ビートたけしのこんなはずでは!! 世界を震撼 9・11同時多発テロ!! ブッシュは全てを知っていた!?」は、2000年夏、アフガニスタンで行われたオサマビンラディンの息子の結婚式にビンラディン一族が何人も映っているビデオを証拠として挙げていた。
3. アメリカはリフレのために戦争をする
過激版の陰謀論がどこまで正しいのかは、現時点では自信を持って断言できないけれども、戦争の口実を求めていたアメリカ政府が、9.11に何らかの形で関わっていた可能性はかなり高いと私は考えている。太平洋戦争のきっかけとなった真珠湾攻撃、ベトナム戦争のきっかけとなったトンキン湾事件、あるいは湾岸戦争のきっかけとなったイラクのクエート侵攻などの過去の事例を見ればわかるように、工作活動によって戦争の大義名分を捏造することは、アメリカの常套手段である。
私は、[論文編:ニューディールは成功したのか]で、アメリカが日本を真珠湾攻撃へと誘導したのは、戦争によって大恐慌以来のデフレを克服する必要があったからだという見解を示した。同じ説明は、9.11にも使うことができる。すなわち、アメリカは、ネットバブルの崩壊によって生じたデフレの危機から脱却するために戦争をする必要があったのであり、9.11は、世論を戦争へ駆り立てるため、アメリカ政府が以前から起きることを望んでいたテロ活動だったと考えることができる。
対アフガニスタン戦争の大義名分は、テロ支援国家を壊滅させることで、対イラク戦争の大義名分は、イラクから大量破壊兵器を除去することだった。9.11がアメリカの狂言ならば、あるいはイラクに大量破壊兵器がないのならば、アメリカは戦争の大義名分を失う。しかし、だからといって、アメリカの戦争が失敗だったとは言えない。
戦争のリフレ効果をナスダック総合指数で確認してみよう。ナスダック総合指数は、2000年3月に頂点に達したが、9.11の時にはその1/3にまで下落した。その後アフガニスタンへの攻撃が始まると、株価は急速に回復し、資産デフレが是正された。戦争が終了した2001年12月になると、エンロン社の経営破綻をきっかけとして、不正会計操作などのスキャンダルが数多くの企業で相次いで発覚し、株価は再びバブル崩壊後の最安値をつける。しかし、対イラク戦争とともに、株価は再び上昇し、現在に至っている。このように、戦争ケインズ主義は、今日においても有効なのであり、ブッシュが対イラク戦争を始めたのは、国民の関心を、自分自身に飛び火したエンロン・スキャンダルからそらすためだけではなかった。
4. アメリカの戦争は石油が目当てか
読者の中には、「ブッシュの戦争は、エネルギー資源が目当てではないのか」と反論する向きもあるに違いない。たしかに、多くの人は、対イラク戦争は、石油のための戦争だと思っている。アフガニスタンは、トルクメニスタンに埋蔵されている豊富な天然ガスを輸送するパイプラインの通路に当たることから、天然ガスを手に入れるために、ブッシュ政権は、邪魔となっているアルカイダをアフガニスタンから一掃したのではないかとよく言われる[i]。この通説は、はたして正しいだろうか。
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[i] クリントン大統領の時代、パイプライン建設計画で、タリバンとアメリカ政府は、当初協力的な関係にあったが、タリバンの人権侵害に対する非難が国内で強くなってきたために、クリントン政権は、タリバン政権を一転して不承認にしてしまい、パイプライン建設計画は、頓挫した。これについては、 [板垣 英憲:ブッシュの陰謀―対テロ戦争・知られざるシナリオ] を参照されたい。タリバンがオサマ・ビンラディンを使って対米テロを始めたのは、その報復としてであると言われている。もっとも、そのオサマ・ビンラディンは、二重スパイならぬ二重工作員の可能性があるのだが。
物不足を解消するために、他の国から《物》を奪う戦争をディスインフレ型戦争と名付けることにしよう。この型の戦争は、物余りを解消するために《物》を浪費するリフレ型戦争とは区別される。ディスインフレ型戦争は、主として、生産力が低かった前近代社会に見られるタイプの戦争であり、これに対して、アメリカのような現代の先進国がする戦争は、リフレ型の戦争が多い。そして、ブッシュの戦争も、石油や天然ガスといった《物》を手に入れるためのディスインフレ型戦争ではなかったと私は考えている。
石油価格は、2000年の物価基準をもとに計算すると、1973年から1985年にかけては、1バレル当たり30-60ドルだったが、1985年以降は、10-30ドルの低水準で推移している。もしも、アメリカが石油それ自体を欲しがっていたとするならば、なぜアメリカは、《物》としての石油の希少価値が最も高かった時に「石油のための戦争」をせずに、石油価格が暴落した後で、「石油のための戦争」と呼ばれる戦争をしたのだろうか。特に、9.11の時には、バブル崩壊後の不況ということもあって、エネルギー需要が小さく、戦争をしてまでエネルギー資源を求めるような状況ではなかった。
イラクを占拠している英米は、イラク政府が適正に樹立されるまでの間、イラクでの石油、天然ガスの輸出売り上げはすべてイラク支援基金に入れ、基金からの支出は、イラク暫定政権と協議の上、米英の監督下で行うという案を出した。もしも、英米が求めているものが石油や天然ガスならば、輸出先を英米に限定するという条件をつけることがあってもよさそうなのだが、もちろんそのようなことはない。アメリカは国内に油田があるので、他の先進国と比べるならば、石油の輸入依存度が高くない。イギリスなどは、逆に石油を輸出しているぐらいである。
ブッシュ政権は、石油業界と癒着しているので、石油業界の利益のために戦争をするという説明もよく聞くが、この説も正しくない。なるほど、ブッシュ大統領もチェイニー副大統領も石油会社の経営者だったし、エネルギー産業から献金も受けている。しかし、イラクからフセインを追放し、イラクに対する制裁措置を解除し、英米が実際にこれからそうしようとしているように、イラクの原油生産を増やすならば、他の産油国が減産に協力でもしない限り、原油価格は下落し、石油業界は打撃を受ける。
アメリカの国務省の「将来のイラク・プロジェクト」石油部会は、イラクの国営石油公社を段階的に民営化し、70%はアメリカの石油会社に、30%は外資(多分イギリス)の会社に管理させる方向を打ち出している [田原 牧:ネオコンとは何か―アメリカ新保守主義派の野望, p.102]。資源ナショナリズムの反発が予想されるので、この企みは成功しそうにもないが、もしも、このおこぼれに与ることができるならば、石油会社の中にも、儲かるところが出てくるかもしれない。戦争によって、一時的に石油価格が高騰するということも石油業界に利益をもたらすが、全体として、ブッシュの戦争が石油業界の利益に貢献しているとは言いがたい。
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日本政府の公共事業が建設業界の利益に貢献できるのは、公共事業が業界の需要を増やすからであって、供給を増やすからではない。ブッシュの戦争によって、需給関係が好転するのは、石油産業よりも軍需産業の方である。ブッシュ政権でのエネルギー産業関係者が21人であるのに対して、軍需産業関係者は32人もいるので、ブッシュ政権は、石油産業のための政権と名付けるよりも、軍需産業のための政権と名付けた方が適切かもしれない。もとより、特定の業界のための政権は長続きしない。数々のスキャンダルにもかかわらず、ブッシュ大統領の支持率が依然として高いのは、幅広い分野の業界が、特需の恩恵に浴することができるからである。
では、かつてのアメリカが、日独伊、朝鮮半島、ベトナムといった、エネルギー資源という点であまり魅力的でない地域の国と戦争をしていたのに対して、ブッシュ親子が、石油の利権が絡む地域を選んで戦争をしたのはなぜだろうか。この問いに答えるには、レーガン時代以降のアメリカ経済の変質について語らなければならない。
5. 変質したアメリカの戦争
第二次世界大戦が終わった時、アメリカは世界最大の債権国であり、アメリカの財務省は、世界中の金の60%を保有していた。アメリカは、国内に豊富な戦争資金があった冷戦時代の前半、現在のように、自国の経済成長のために同盟国の金を使って戦争をするのではなく、同盟国の経済成長のために自国の金を使って戦争をしていた。例えば、朝鮮戦争は日本に特需景気をもたらし、ベトナム戦争は韓国に特需景気をもたらした。当時のアメリカは、日本や韓国にとって、成長のための母乳を与え、共産主義という外敵から自分たちを守ってくれる母のような存在だった。
ところが、レーガンの時代以降、双子の赤字(財政赤字と経常赤字)が増大すると、アメリカの戦争の方法が変化する。戦争の本質がリフレーションであることには変わりないが、アメリカは、もはや戦争資金を国内だけでは調達することができなくなったため、同盟国に「国際貢献」、すなわち戦争資金の献上を要求するようになった。湾岸戦争はその代表的な例である。
1987年10月19日の月曜日、ニューヨーク株式市場の株価が22.6%下落するブラック・マンデーが起きた。日銀が低金利政策を長期にわたって継続したおかげで、アメリカは恐慌に陥らずにすんだのだが、このアメリカ救済策は日本にバブル経済という副作用をもたらした。1990年1月にバブル経済が崩壊すると、世界的なデフレ懸念が生じ、このため、ブッシュ・シニア大統領(現大統領の父親)は、イラクとの戦争によって、デフレの危機を克服しようとした。
もともとアメリカは、イラン・イラク戦争でイラク側を支援していた。アメリカは、日本やヨーロッパに圧力をかけてイラクの石油を買わせ、そしてイラクは石油を売った金でアメリカから武器を買った。1988年にイラン・イラク戦争が終わると、アメリカは、大量の武器を持ったイラクとの戦争を計画し始めた。時あたかも、ブラック・マンデー後の、戦争の必要性が出てきた頃である。計画は、89年に戦争計画1002-90としてまとめられ、翌年にはコンピュータによる図上演習が行われた。
もっとも、長年の戦争に疲弊していたイラクには、新たに戦争を始める意欲がなかったので、アメリカは、イラクに対する最大の債権国である隣国クエートに、イラクを挑発させることにした。すなわち、クエートは、OPECの割当量以上に石油を生産し、石油価格を下落させ、石油の売却益で債務を返済しようとしていたイラクの計画を挫折させ、それでいて、債務免除には一切応じずに、即刻返済を迫った。さらにクエートは、アメリカから供与された傾斜穿孔技術により、イラク領内に位置するルメイラ油田から石油を盗掘していた。激怒したサダム・フセインは、1990年8月、クエートに侵攻した [ラムゼー クラーク:ラムゼー・クラークの湾岸戦争―いま戦争はこうして作られる]。
「窮鼠猫を噛む」という諺がある。弱者であっても、退路を断たれ、逃げられない窮地に追い込まれれば、強者に必死の反撃をするという意味である。追い詰められたイラクというネズミは、ABCD包囲網によって窮地に立ったかつての日本と同様に、猫に噛み付く以外に事態を打開する方法がなかった。こうしてネズミに噛み付かせ、被害者の立場を演じることで国際世論を味方につけ、「正義」を声高に叫びながらネズミ退治をする、これがアメリカが得意とする方法である。
アメリカが戦争に踏み切った1991年1月は、ちょうど世界が不況の谷間にあった時期だった。ベーカー長官は、「砂漠の嵐作戦は、アメリカ人の雇用を守る」と言って、湾岸戦争を正当化しようとしたが、この理由は正直すぎて不評だった。これに対して、ブッシュ・シニア大統領は、「イラクの核武装阻止」を戦争の大義名分として掲げた。こちらの大義名分のほうが、世論の受けが良かったが、それが戦争を始めた本当の理由ではなかったことは、ブッシュ・シニア政権がイラクに核兵器開発用の機器を密かに売っていたことから明らかである。
後に発覚して、イラクゲートと名付けられるスキャンダルに発展したことなのだが、ブッシュ・シニア政権は、イラン・イラク戦争が終わった後も、イラクがクエートに侵攻した後も、こっそりとイラクに武器を売り続けた [Alan Friedman:Spider's Web: The Secret History of How the White House Illegally Armed Iraq][b]。そして湾岸戦争では、アメリカが作ってイラクが買った兵器をアメリカの兵器が破壊する光景が見られた。ケインズではないが、穴を掘って埋めるだけの無駄な公共事業でも、やれば景気は良くなる。ダウ指数その他景気の先行指数を見ればわかるように、1991年の湾岸戦争を境に、アメリカ経済は好転し始めた。
[b] ブッシュ・シニアの父親であるプレスコット・ブッシュも、アメリカとドイツが戦争している時、ナチスと密かに交易をしていたので、敵国との取引は、ブッシュ家のお家芸と言える。
ブッシュ・シニアは戦争には勝ったけれども、景気回復には失敗したという評をよく聞くが、これは間違いである。92年の大統領選で、ブッシュ・シニアがクリントンに敗れたのは、景気回復が当初ジョブレス・リカバリーで、国民の多くが雇用の改善を実感できなかったためと、イラクゲート・スキャンダルの発覚のためである。クリントンの時代にアメリカ経済は黄金時代を迎えるが、それはブッシュ・シニアが蒔いた種が成長したからであって、クリントンの功績ではない。
湾岸戦争がアメリカに繁栄の10年をもたらしたのに対して、日本には「失われた10年」しかもたらさなかった。それは、日本が、日本のマネーを日本の繁栄のために使うことができなかったからだ。湾岸戦争でアメリカが使った金は、約610億ドルで、そのうち9割近くは、他の国が拠出した。ちなみに日本が拠出した金額は、合計135億ドルで、この出費は国債の発行と増税で賄われた。湾岸戦争のおかげで、1991年に、アメリカは、10年ぶりに経常収支を黒字にすることができた。そして、その後ネットバブルを発生させ、他の国からの資本フローによって、経常赤字をファイナンスした。
経常赤字の問題を解決したいのなら、アメリカは、戦争ビジネスで儲けるなどという邪道を捨て、先進国らしく国内にハイテク産業を育てればよいではないかと読者は思うかもしれない。しかし、画期的な新技術の多くは、軍需産業における採算を度外視した研究開発から生まれるものであり、例えば90年代のバブルでもてはやされたインターネットも、アメリカ政府による軍事技術への投資の中から生まれてきたテクノロジーなのである。
今後アメリカは、デフレになると他の国の金を使って戦争し、リフレを行い、インフレになると軍縮によって軍需技術を民間に移転し、経常黒字国からの投資でハイテク産業を育て、そしてバブルが崩壊し、再びデフレになると、工作活動によって戦争の口実を捏造し…というサイクルを繰り返すことで、平和な時も戦争の時も、他の国民のマネーを搾取しながら自らの繁栄を維持していこうとするだろう。
今回の、ブッシュ・ジュニア大統領の対イラク戦争は、ブッシュ・シニア大統領の湾岸戦争の時とは違って、多くの国の理解を得ることができなかった。それでも、ネオコンが強引に戦争に踏み切ったのは、他の国から拠出金が得られなくても、イラクの石油で戦争資金を賄うことができると計算したからだ。ネオコンが石油利権にこだわるのは、石油そのものが欲しいからではなく、戦争資金が欲しいからだ。アメリカは、石油を媒介にした三角貿易で、経常赤字を解消しようとしているのであるが、もしそれがうまく行かなければ、直接日本に資金拠出を迫ることになるだろう。
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