近代化は西欧で始まった現象である。西欧の近代化は心の近代化に始まった。心の近代化とは、「呪術の追放」つまりアニミズム的・シャーマニズム的な世界観の駆逐を皮切りとして、宗教における合理的態度が形成され、合理主義が思考・行動・制度の全般を支配してきつつあることである。その進展に伴い、生活全般の合理化が進んだ。すなわち、文化的・社会的・政治的・経済的な近代化が全般的に進行してきた。心の近代化は、全般的合理化の開始点であり、また中心点である。この原因と展開を明らかにし、近代化を超克する方向を示すことが、本稿の目的である。その点を確認して、本稿の結びを述べたい。
心の近代化が多くの問題をもたらし、存亡の危機にある人類は、精神文化の興隆を必要としている。ここにおいて待望されるものが、新しい精神的指導原理の出現である。
「近代化革命」つまり近代化の過程は、科学の発達と宗教の後退の歴史だった。「呪術の追放」によって宗教が合理化され、17世紀の科学革命によって西欧に合理主義が進展した。特に18世紀以降、啓蒙主義が人知への過信をもたらした。その結果、西欧人を始めとして、人類は神を見失った。神といっても、聖書の物語の中に描かれている神ではない。真の神とは、宇宙や自然や生命を貫く法則であり、原動力のことである。人間は、こうした意味の神を見失い、神に成り代わったかのように錯覚している。そして、宗教はますます後退し、精神性・霊性は、物質的な享楽の中に埋没しかかっている。西欧を中心に、アメリカやわが国など近代化した国では、世俗化とニヒリズムが進行している。
ところが驚くべきことに、いまや科学の側から逆転が起こっている。科学の先端において、精神性・霊性への関心が高まってきているのだ。科学の時代から精神の時代へ、あるいは物質科学文化の時代から精神科学文化の時代への転換ともいえるような、巨大なパラダイム・シフトが起こりつつあるのである。
20世紀の新しい物理学、量子力学や相対性理論によって、物理学ではパラダイム・シフトが始まっていることを明らかにしたフリッチョフ・カプラは、名著『ターニング・ポイント』(1984)で、次のように書いている。
ナイロビは何を意味する?
「現代物理学から生まれつつある世界観は、機械論的なデカルトの世界観とは対照的に、有機的なホリスティック(全包括的)な、そしてまたエコロジカル(生態学的)な世界を特徴としている。それはまた、一般システム論と言う意味で、システム的世界観と呼ぶこともできる。そこではもはや、世界は多数の物体からなる機械とは見なされていない。世界は不可分でダイナミックな全体であり、その部分は本質的な相互関係を持ち、宇宙的過程のパターンとしてのみ理解できるとする」(註1)
カプラは、現代物理学の世界観が、東洋に伝わる伝統的な世界観に非常によく似ていることを発見した。すなわち、『老子』や『易経』や仏典に表わされている宇宙の姿と、相対性理論や量子力学が描く世界像とが近似しているのである。このことをカプラは、『物理学の道(タオ)』(1975、邦題『タオ自然学』)という本で発表した。(註2)
これは決してカプラ個人の見方ではない。20世紀の名だたる物理学者たち、不確定性原理のW・ハイゼンベルグや波動方程式のE・シュレーディンガーが、かつては単なる神秘思想と思われていたインド哲学に深い関心を持ち、コペンハーゲン解釈のN・ボーアは晩年シナの易学の研究に没頭した。カプラの師、J・チューは自分の靴ひも理論が大乗仏典の内容とそっくりなことに驚愕している。
カプラは言う。
「東洋思想がきわめて多くの人々の関心を呼び起こしはじめ、瞑想がもはや嘲笑や疑いを持って見られなくなるに従い、神秘主義は科学界においてさえ、真面目にとりあげられるようになってきている。そして神秘思想は現代科学の理論に一貫性のある適切な哲学的裏付けを与えるものという認識に立つ科学者が、その数を増しつつある。人類の科学的発見は、人類の精神的目的や宗教的信条と完全に調和しうる、という世界観である」(註3)
こうしてカプラは、科学と宗教とが調和・融合する新しい時代の到来を、世界の人々に伝えている。
大脳生理学者・カール・プリブラムも、次のように語っている。
我々は地球温暖化を減らすためにできること
「従来の科学は、宗教で扱う人類の精神的側面とは相容れないものだった。いま、これが大きく変わろうとしている。21世紀は科学と宗教が一つとして研究されるだろう。このことはあらゆる面でわれわれの生き方に重大な影響を及ぼすだろう」(註4)
科学と宗教が一つのものとして研究され、それが私たちの生活に大きな影響をもたらすーーこうしたことを唱えているのは、彼らだけに止まらない。物理学や生物学や認知科学など、さまざまな分野の科学者が、科学と宗教の一致を語っている。
われわれは、科学と宗教が分離し対立した近代を経て、改めて科学と宗教がより高い次元で融合すべき新しい段階に入っているのである。
ここにおいて、再評価されつつあるのが、宗教の存在と役割である。
カプラは、次のように書いている。
「われわれが豊かな人間性を回復するには、われわれが宇宙と、そして生ける自然のすべてと結びついているという体験を回復しなければならない。宗教(religion)の語源であるラテン語のreligareはこの再結合を意味しており、それはまさに精神性の本質であるように見える」と。(註5)
まさに、われわれは、科学の時代から精神の時代、物質科学文化の時代から精神科学文化の時代への転換期にある。この時代の方向指示者の一人として、数理科学者のピーター・ラッセルは、「心のアポロ計画」という注目すべき提案をしている。名著『ホワイトホール・イン・タイム』(1992)で、次のように言う。
「今日、人類はまっさかさまに破局へ突っ込んでいく事態に直面している。もし本当に生き残りたかったら、そして私たちの子供や、子供の子供たちに生き残ってほしかったら、意識を向上させる仕事に、心を注ぐことこそが最も大切なことである。破壊的な自己中心主義から人類を解き放つための全世界的な努力だけが必要である。つまり、人類を導くための地球規模のプログラム、"心のアポロ計画"が要求されているのである」
不況時代の工芸品
「アポロ計画」は、1960年代に宇宙時代を切り拓いた宇宙開発計画である。それは、物質科学文明のピークを歴史に刻んだ。人類が月に着陸し、月面から撮った、宇宙空間に浮かぶ地球の写真は、人々に地球意識を呼び起した。「心のアポロ計画」は、この宇宙時代にふさわしい精神的進化を追及するプロジェクトである。
このプロジェクトでは、心理的な成熟や内面の覚醒を促す技術の研究開発に焦点が当てられる。そこに含まれるテーマは、次のようなものである。
●神経科学と心理学に焦点を当て、心の本質を理解する。
●自己中心主義の根拠をもっと深く研究する。
●霊性開発のための現在ある方法を全世界的に調査する。
●新しい方法を探すとともに、現在ある方法の協同化を進め、発見されたものの応用と普及を図る
提唱者ラッセルによると、この計画に巨額な資金は必要としない。
「毎年全世界が"防衛"に費やしている一兆ドルの1パーセント足らずで、すべてがうまくいくはずである」とラッセルは言っている。(註6)
私はこの「心のアポロ計画」に賛同する者である。世界の有識者は、早急にこの精神科学発達プログラムを促進すべきである。ただし、この計画は、従来の宗教や霊的伝統の再評価にとどまるものであってはならないだろう。現代は科学が発達した時代である。従来の宗教では人々の心は満たされない。従来の宗教は、天動説の時代に現われた宗教である。今では、地球が太陽の周りを回っていることは、小学生でも知っている。パソコンやテレビ電話やスペースシャトルなどないどころか、電気や電燈すらなかった時代の宗教では、到底、現代人の心を導けない。いまや科学が高度に発達した時代にふさわしい、科学的な裏付けのある宗教の出現が求められている。
これからは、新しい精神科学的な宗教を中心とした、新しい精神文化の興隆によって、近代文明の矛盾・限界を解決する道が開かれるだろう。(註7)
人類は、この地球において、真の神を再発見し、宇宙・自然・生命・精神を貫く法則と宇宙本源の力にそった文明を創造し、新しい生き方を始めなければならない。そのために、今日、科学と宗教の両面に通じる精神的指導原理の出現が期待されている。世界平和の実現と地球環境の回復のために、そしてなにより人類の心の成長と向上のために、近代化・合理化を包越する、物心調和の精神文化の興隆が待望されているのである。
そして、ここにおいて日本文明が担うべき役割には、大きなものがある。西欧において始まった近代化を、非西洋社会で初めて成し遂げ、独自の展開をしてきた日本文明は、物心調和の精神文化の興隆が待望される時代に、大きな貢献を果たすべく期待されている。この件は、別項にゆずり、本稿はこれをもって結びとする。(註8)
(ページの頭へ)
註
(1)カプラ著『ターニング・ポイント』(工作舎)
(2)同上『タオ自然学』(工作舎)
(3)同上『ターニング・ポイント』(工作舎)
(4)プリブラム他著『科学と意識』(たま出版)
(5)カプラ著『ターニング・ポイント』(工作舎)
(6)ラッセル著『ホワイトホール・イン・タイム』(地湧社)
(7)「新しい精神科学的な宗教」と「新しい精神文化の興隆」については、以下のサイトをご参照下さい。
(8)人類史と日本文明の歴史的役割については、次の拙稿をご参照下さい。
「人類史の中の日本文明」
0 件のコメント:
コメントを投稿